渓流釣り解禁日の想い出

渓の回想録
渓の回想録
 愛媛渓流釣り解禁(92/2/1) 

前日から解禁日を祝おうと夜討ちの計画を立てた。

車道に雪が少ないのを良いことに上流へと車を進め、去年何度も入渓しようとしていつも車が止まっていて入れなかった人気がある渓の入り口に陣取った。車が止まると同時にビールで乾杯、それから日本酒が入って・・・・もうこれ以上飲めば釣りにならないと眠りについた。3時くらいだったか?寒さで目が覚めると雪が降っていた。「これくらいの雪なら・・・・」と思いながら再び深い眠りについた。
 
朝、目覚めると雪は降り続いていてワイパーを動かすと辺り一面真っ白になっていた。

「さて、どのくらい積もっているのか?」

車のドアを開けようとしたが雪に塞がれて開かない・・・・ジワジワと力を加えて押すとやっと開いた。30cm位の積雪、外に出たら膝まで埋まってしまうのでウェーダーに着替えた。

「釣りになるのか?」

カップラーメンとコーヒーで身体を温めて雪が止むのを待っていると渓を挟んだ反対側にハコバンが止まり何人かがバタバタと着替えをはじめだした。どう見ても釣りやんか、目の前にいる俺達は無視、声を掛けることもなく釣りの準備をするとは失礼な奴らや・・・・「今日は止めようかな」なんて思っていた弱気な自分に火が点いた。追い立てられるように車を出て取水に続く坂道を歩き出した。(そう、釣りの準備はとっくに出来ていたのでした。) 膝上までのラッセル、標高差100mの登りはキツかった。雪が舞い気温は氷点下なのに雪に埋まり余計な体力を使うので身体はポッカポッカで温かく不思議な感覚だった。

仕掛けが水面から上がるとミミズが凍る。釣れたアマゴは錆びているし釣果だって大したことはない・・・・2月解禁は速いのだろうか。

高知渓流釣り解禁(92/3/1) 

3月解禁は本川の桑瀬川を目指した。

当時、寒風山トンネルは開通しておらず西条経由か早明浦ダム経由は微妙な距離と時間差だった。まだ3月なったばかり、西条経由だと標高1100mもある旧寒風山墜道を越えるのは流石に無理があるだろうと早明浦ダム経由で行くことになった。ダム湖畔の曲がりくねった細い道を朝駆けするのは疲れる、現在の『一の谷やかた』まで来ると10数台の車が止まっていた。流石は日曜の解禁日、目的の渓に入れるのか心配になったが殆どの釣り人は本流で行われる成魚放流が目的のようだった。

釣れない! 解禁日だと云うのに全く釣れない・・・・気になるのは砂地に残る足跡、釣り人の車は無かった筈だし解禁日前に誰か入ったようだ こんなことなら成魚放流に参加した方が良かったのではないかと思いながら大滝を高巻いた。 

アマゴじゃない変な魚が釣れた。

「イワナ?」

本川にイワナが居ると云う話は聞いていたが釣り人生初のイワナに喜んだ。

徳島渓流釣り解禁(92/3/2)

愛媛解禁から毎週の渓通いでは飽き足らず、3月解禁の次の日は休みをもらっていた。

本川から那賀川に直接乗り込もうとして、一渓釣り終えた後に移動距離が180kmって完全に狂っていたようだ。予定していた温泉宿は何度電話を掛けてもつながらなかった・・・・直接行って頼み込めば何とかなるんじゃないと強行したが温泉宿に着くと閉館して真っ暗だった。まぁ、そんなこともあるかも知れないと途中で食材を買い込んでいたが野営の場所は冷たい風が吹き荒ぶ広場で車を風よけにして鍋を囲んだ。そんなことまでして辿り着いた憧れの源流の入り口には『今年から禁漁』の立て看板、橋の上から渓の流れを覗き込むと大きな岩の影に8寸・9寸のアマゴが群れていた。後ろ髪を引かれながら下流に下り入った支流は解禁日の足跡だらけだった。

その他  渓流釣り解禁の想い出

・トンネルを抜けて坂道を下ったら大雪で釣りを諦めるしかない状況、渓変わりしようとして引き返したが凍った坂が登れず昼前まで立ち往生した。

・峠越えの山道、ルンルン気分で走っていたら浸みだした水が凍った場所でスリップ、山側の斜面に乗り上げ側溝に撃沈した。(3ヶ月前に下ろしたばかりの新車だった)

・まだ暗い中、予定していた源流の車止めは大賑わいで「渓割りは済んだから帰れ」と云われた。釣れそうな渓を探して大迷走がはじまった。

・携帯電話がない時代、解禁釣行を約束した釣友と連絡が取れない。釣友から電話が掛かってきたのは夜中、追突事故に巻き込まれまだ病院にいるので明日は無理・・・・ 

こうして解禁日を思い返してみるとロクでもない想い出ばかりだ。
大物が釣れたとか良い思いをしたことも少ない。それでも、解禁日は特別な日でこの祭り騒ぎに参加しないと渓流シーズンは始まらない。


 

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