四国の岩魚

渓の雑学

四国にも岩魚が生息する。私が確認しているだけでも、本川村、加茂川の上流部、嶺北、穴吹川上流 、貞光川の一部、祖谷川源流部など・・・・・しかし、本来四国はアマゴ域、岩魚は生息していないはずである。では、何故か?

佐藤成史氏の著「瀬戸際の渓魚たち」によると昭和48年に桑瀬川の上流に、富山産の岩魚が2000匹放流されたそうである。また、寒風壮の養殖されていた岩魚が昭和52年の台風の被害に逢い桑瀬川に逃げ込んだそうだ。その岩魚たちの子孫が数人の釣り人により本川村内の各支流、近くの嶺北地区、加茂川へ放流されたのが真相のようだ。

著の中に出てくる手箱谷を一度だけ釣行したことがある。車止めから高度250~300m見上げると圧倒されるような連瀑帯が続く「こんなところに魚が棲めるのか?」少々心配になるがアマゴと岩魚が交互に釣れてくる。流心からアマゴ、流心脇の流れが緩いところから岩魚、パターンはハッキリしている。しかし、あまりに斜度がキツイため遡行に専念となる。渓と林道が近づく辺りから流れは急に緩くなる。大方の釣り人は、林道を経由してこの辺りから釣り始めるのだろうか、型が小さくなりアタリも少なくなった。この緩い部分はアマゴ域だった。
やがて、高度1000mを越したところで渓は2つに分かれる。
「2時間位釣って、ここで待ち合わせしようか?」
 OK2時間後に・・・・・」
同行の慶三君が右の支流、私が左の支流にそれぞれ分かれて釣りあがった。左の支流は、釣れるのは岩魚ばかりだった。待ち合わせ場所まで帰ってきた慶三君の話によると右の渓はアマゴだけだったようだ。棲み分けているのだろうか?少々不思議に思った。


手箱谷の連瀑帯
流心にはアマゴ、流心脇には岩魚
釣れてくるポイントはハッキリしていた。


連瀑帯を登りつめた場所
「よくもまぁこんなところを上がってきたものだ」


連瀑帯の上は流れが緩くなる。
非常に穏やかな渓だ


岩魚とアマゴ
ヤマト系?を思わせるが完全なニッコウ系である


四国の岩魚に思うこと

四国の岩魚のルーツは本川に持ち込まれた2000匹、台風で桑瀬川に逃げ込んだ子孫だとすると、 四国の中でかなりのスピードで岩魚域は広がっているように思われる。 ただ、峰々を跨いで、水系を越えた広がりから想像すると人の手(放流)が大きく関わっていると考えられる。知り合いの渓流情報通のおやじによると「岩魚を専門で放流している集団」がいると聞いたことがある。

一昔前なら、岩魚は「幻の魚」などと云われ、貴重な魚としてもてはなされた時期があったが養殖技術の向上から岩魚も、そう、めずらしい魚ではなくなった。それでも、源流部の渓流釣りの象徴として多くの亡者がいるのも確かな話である。では、本当に四国の渓流 にとって「岩魚」は、どんな意味があるのだろうか?
 私は、常々「四国の渓流」には【岩魚】は、いらないと思っている。四国の源流部の象徴は、岩魚ではなく、やはり渓の特徴を持った個性が強いアマゴだ 。水量が枯れかけた源流部でアマゴの引きの醍醐味を味わえるのは「四国の渓流」の特徴だ。よってこれ以上の岩魚域の広がりは「NO」である。


私がホームとする祖谷川源流部で岩魚が釣れた。見ノ越峠をはさんで穴吹川源流部から放流 と思われる。ただ、どうゆう理由で岩魚が放流されたかは解らないがアマゴと同じ守るべき渓流魚だ。



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