変わり行く渓 高知東部水系五渓

渓流釣り遡行記2005
渓流釣り遡行記2005  2005/3/5  晴れ
  統治東部水系五渓
一昨年の8月中旬、魚梁瀬の源流へ釣行してから帰りに試し釣りをしたとき、魚影の濃さと渓相の良さに大きな手ごたえを感じていた。
また昨年林道がすぐ脇にある別の谷で大物が連続して釣れたことから、NK谷SKともにいい釣りができるはずと、自信を持って釣行計画をたてた、。
馬路温泉ツアー3月5日は、リュウホウさんと彦七さんが同行者だ、最近よく釣りに行っているので気心も知れている、和やかな車中談義に花を咲かせて、意気揚揚とSK谷の車止めへ乗り込んだ。早速谷を覗いて仰天、渓相が一変していた、適度な落ち込みの連続だった渕は砂利で埋って浅くなり、茶色のコケが繁殖して釣りになりそうにない。

大きな期待を賭けていた
SK谷、林道や植林から大量の土石が流れ込み、一昨年あった渕が埋もれている。

少し遡行をしてみたが「じぇんじぇんダメー(TT)」状態、ソソクサと竿をたたみ隣のNK谷へ直行。

 

NK谷のBW入渓点

満水時このあたりは水没している

BW直前のゴルジェへ下降するといい渕が連続していた、交代に竿を出していくが全くアタリがない?、先行者があるとか、魚が少ないとか言った問題じゃなくモヌケの殻でモツゴさえいないのである、これにはびっくらこいたのだ。

NK谷下流の渓相
渓相は抜群しかし魚の気配がしない
いや、生き物の気配がしないのは
なぜだろう?
茶色の藻が発生している

NK谷納竿の渕
一昨年は水深もあったが、今年は浅く茶色の藻が発生している。 これから大雨が降る毎に埋まっていくのだろうか、それとも押し流して深くなるのだろうか? 山の保水力が低下しているのが原因か、大雨が降る度一時に増水し、すぐに減水する、これを繰り返すと谷は荒れていくのだろう。

 

少し遡行して林道へ這い上がり、一昨年試し釣りをした小屋の上へ緊急移動したが、ここも全く魚が棲んでなく、谷は埋もれて土砂が堆積していた。
昼まで粘ったが、ここも「じぇんじぇんダメー(TT)」状態、3人ともグリコの看板(お手上げ、バンザーイ)。

「もしかしてこれって・・・俗に言うBOUZU?それもマルBOUZU!」、自慢じゃないけど今まで釣ってきて、谷でマルBOUZUなんて経験していないので、かなりウロタエてしまった、遠くは岡山、香川から来ているのに申し訳ないです・・・。
 せっかく作ってくれたキムチ味ラーメンも喉を通らないありさまで、気まずい谷飯宴会に陥ってしまった。

3匹釣ったらDVC担当を交代するはずだったが、もちろんそこまでに至らなかった。
 なんとかBOUZUを脱却しようと気を取り直し、ガイド役として昼からの谷を決めさせてもらった、行く先はSS川だ。

キムチラーメン
袋入りラーメンにキムチの素とチュウブ入りのニンニクを入れる。これがなかなか美味いのだが、ボーズ のことが頭から離れない。

 

 

SS川は緩いが適度に落ち込みがあり、途中に堰堤があってその昔めちゃくちゃ釣れた思い出がある(かなり昔の話)、「439さーん・・・それって風呂屋の看板(ゆーだけ)じゃないの?」、

「・・・」。

 SS川では何とかチビアメゴの姿を見ることができたが今日は超大撃沈だった、記念すべきボーズ日になってしまった。

 期待が大きかっただけに落胆の色を隠せない、「K谷2本でボーズだったから、カメカメボーズですな」と、つまらない洒落を言ってみても傷心は癒えるはずもない。

「今度からボウズだったら合言葉はカメとしましょう」、「さしずめ今日はカメカメってとこですか?」、「いやいや、マルボーズやから丸亀じゃないの」、「ハハ・・・」。
 なんとか気を取り直す手がかりを探りながら、重たい足をズリズリとヒコズリながら、緩い林道を撤退するマルカメ隊だったのだ。

林道崩壊の復旧工事は終わっていたが、前の川原は壊滅状態、この土石が下流に流れている、SS川も埋まっていた。冗談でこの瀬に餌を流してみたが、虚しさが増すばかりだった。

当日データ
  釣果:(TT)
 


 
渓流釣り遡行記2005   2005/3/12
  高知東部水系W川 439道中記  
左支流の源流二股下に掛かる橋から釣りあがり、先に林道の付いていない右支流に釣りあがった、概ね緩い渓相だが所々に良渕がありアメゴの魚影は濃かった、やはり源流部で天然林が残っている渓は埋もれが少なく、魚も残っているようだ。
左支流の源流二股下に掛かる橋
周囲の山には天然林が広く残っているためか、谷が埋まっていない。釣り始めから7寸6寸がヒット、右支流への期待が高まる。

右支流の8寸

良渕

谷筋に付けた山道跡の傍らに炭窯の跡が距離を置いて幾つもあり、撤退路の目印になっている。
 炭窯への道はキンマ(木馬)道と言って木のソリを使うため、一般の山道より幅があり石垣等を施して比較的頑丈に作られていた。
 木炭は戦後復興時の燃料不足を補うため大量に生産され、山間部では現金収入のよりどころであったとおもう。

 子供の頃我が家も炭焼きで生計を立てており、よく学校をサボって炭焼きの手伝いをしたものだった。
 何日も学校を休むとおなご先生が炭焼小屋に来て、チャンと学校に通わせるように親を説得していた、親は「炭焼きの倅に読み書きはいらん」などと反論していたのを思い出す。
 
昭和40年代中頃まで炭焼きは盛んに行われ、雑木の伐採は範囲を広げ、その跡には杉や桧の植付けが進んだ、「孫の代で使えるように」と計画を立てての植林だったが、時代の変化は急速に進み、今やPC、携帯電話、DVCの世の中である、植林の世話をして後の世代に引き継げる人は、今はもう稀であるとおもう。
 炭窯の傍らに春の到来を告げるミツマタの花が咲いていた、ミツマタは和紙の原料でカジ(楮)と並んで、これも山間僻地の貴重な収入源だった、コシキと言う大樽を釣鐘のように逆さに吊り、その下にある五右衛門風呂みたいな大きな釜にミツマタやカジを束ねて立て、コシキを下ろしてすっぽりと被せ、釜に湯を沸かして蒸気で蒸しあげる。
イモの焼ける匂いを思い出してしまう。
蒸しあがったら冷めないうちに皮を剥がなくてはならないので、家族や近所総出の共同作業だった、手伝いの報酬は釜で焼いたカライモだったがこの味は忘れられない。
 
いけない!・・・魚止めをはるかに越えているようだ、早く二股に帰って左支流も釣り上がろっと。
 二股から左支流は右より水量が若干多い、しかし左側に林道が延びているから釣り荒れているだろうと思っていたが、足跡もなく本年度一番乗りだった。
左支流の渓相
林道が川岸に付いておりどこからでも入渓できる、柳が生えており平川特有の渓相が続く、釣り人が少ないのか魚影は濃かった。
6寸7寸が気前よくヒットするが大物は出ない、すぐに堰堤があり深い渕になっていたが5寸が釣れただけだった、覗き込んでみると7寸が2匹底で泳いでいたが釣れそうになかった。
 
堰堤上には真新しい砂利が堆積して満杯、どこかで土砂崩れでもあったのだろう、そういえば下に通行止めの看板が倒れていたなー。
左支流の堰堤
最初の堰堤、地図で確認すると上流にいくつかあるようだが、この堰堤の上は新しい土石で埋まっていた。
これ以上上流には期待が持てそうにないので一度納竿して本流二股近辺に下って釣ってみることにした。本流二股下の水量は減水しているとは言えチャンと釣りができた、堰堤上の浅い渕で9寸が泳いでいるのが見えた、群れで団体行動しているのはイダだろうか?
本流二股下の渓相
チョッとしたポイント、魚影は確認できたがヒットしなかった。写真の一番奥に堰堤が見える、堰堤の下では土砂の堆積が少ない。
本流二股の渓相
やはり本流砂防堰堤上には大量の土砂が堆積している。昨年来た時は二股に渕が形成されていたが、各支流からの土石が集まり埋没していた、砂防堰堤は今満杯になっている、今後の土石は堰堤を越えて下流へ流れて行くのだろう、堰堤は人口の滝となってしまう。
二股左に長渕があったので緩い落ち込みから餌を流してくると、足元の岩からサット魚影が走り餌を加えてジットしている、軽く合わせるとうまくヒットした、9寸のオスだった、錆びて痩せているのでリリースしておいた、来年は尺になっててね(^^。
本流二股の9寸♂
だ捕食が進んでいないのかサビて痩せているが厳し い環境の中で生き抜く逞しさを感じる。
左支流の滝
なんとも言えない雰囲気をもった滝だった、5.3mの竿尻いっぱいのラインで底を探ったが届かなかった。左の流芯の底で8寸がヒット、水面に上げるのに時間がかかってしまった。
滝壷の8寸
あまりに引きが強かったので「もしや・・・」と思ったが8寸だった。朱点が無いのはなぜでしょう?
まだ連れがいるはずと粘りに粘ったが後が続かなかった、なんだか疲れてしまった、明日は仙人さんとの釣行がまっているので、今日は早めに切り上げて家に帰ろう。
当日データ
  釣果:32匹、キープ8匹 最大27cm
 


 
渓流釣り遡行記2005  2005/3/13
  高知東部水系A川支流T
  439道中記
今日は仙人さん(渓師会の)とのT川釣行だ、ここに至るまでには度重なる計画変更があったのだ。最初は吉野川支流の閉鎖源流へ、リュウホウさん、アザラシさん、タマちゃんと4人で行こうとしていたが、リュウホウさんが仕事の関係で行けなくなり、代打で仙人さんが参加することになった。
入渓点の渓相
赤い大岩がゴロゴロしている、あまりに赤い岩だらけなので谷全体が赤っぽい。
日を置いてアザラシさん、タマちゃんがこれも仕事でリタイヤ、当日生き残ったのは仙人さんと2人だけになってしまった。
T川のゴルジェ
最大の難所だが高巻きせずに登って行ける。魚影は全く無い、源流部は大丈夫だろうか?と不安になってきた。
「やっぱり閉鎖源流は大勢で賑やかなほうがいいなー、残しておこう、それとDVCで記録もして欲しいし」、ということで物部川の支流に変更した。当日の朝、北の山を見ると標高200m位から上は雪鬘を被っていた、気温もかなり落ち込んでいるようだ。
 仙人さんさんが南国に到着したので高速の様子を聞いてみると、雪の為50kmの速度規制がかかっていたそうだ、しかし善通寺から1時間10分で南国まで?、チョッと計算が合わないんだけど・・・(e?e)。 
「折角高知まで来たのだから、寒くない谷へ行きましょう」、とA川支流へ行くことにした、T川の車止めは標高200m、しかし現地の気温は0度とかなり冷え込んでいる、「ウエイダーいりますかね?」、
「いらんでしょ、長靴で十分」。
T川の最初の滝5m
一昨年車止めで爺さんに聞いたら、この滝の上にはアメゴはおらんと言っていたが、釣ってみると爆釣だった、そんでもって今年も来たわけだが・・・。
滝壷は埋まっていた、撮影した足元近くまで洗掘されていた。

ちびあめご

今年は魚影が極端に薄くなっている、型も小さくて、たまにヒットする。

ゴルジェの手前に入渓、大洪水だったのか岸のかなり上まで削り落とされている、その時の谷の様子を想像してみると、とても魚が流されずにすむとは思えない。案の定アメゴはヒットしない、たまに痩せたモツゴがヒットするぐらいで我慢の遡行が昼前まで続いた。

 源流二股手前からやっとアメゴがヒットしだし7寸も出た、やっぱり源流でないと魚がいないのか?。左支流は二股から50m上に滝がありそこが魚止めだった。滝上の山葵が生えている陽だまりで昼飯、

仙人さんが湯を沸かしてくれたので、味噌汁のカップを点検(穴が空いていないか)してから山葵の葉を摘んでカップに入れた、仙人さんも山葵を摘んでいる。湯を入れてかき混ぜるだけで出来上がり、便利なもんやなー、「山葵の味がします?」、「いやまだ小さいので薄いですなー」。

右支流へと山道が降りていたので折り返しは楽勝だった。
 源流部も天然林に覆われているからか渓は健全そのものだった、下流は荒れていたが源流部は爪あとが少ない。

 二股に到着、最初左に釣りあがったが魚影がなく、折り返して右支流へ、8寸が釣れたが痩せていたのでリリース、タバコに火を付けて仙人さんを待ったが、2本吸ってもまだ上がってこない、心配になったので降りていったが見当たらない、二股まで降りたがまだ見つからない「おおーーい」、「うおーーいい」、どうやらすれ違いで左に入ったみたいだが、気づかなかったなー。

 仙人さんと合流し8寸を釣った次のカーブから、また釣り始めた。

魚止めの渕に竿を出す仙人さん

霞を食し雲を掴むような会話で皆を翻弄する仙人さん、9寸が釣れてご満悦でした。

納竿の滝7m(標高500m
 渕は浅いが魚の棲める条件は整っている、
しかし魚信はなかった

結局薬局ここが魚止めとも知らず期待に胸躍らせて高巻き、滝の上へ降りたが全くアタリがなくとうとう標高500mにある7mの滝に遭遇したところで納竿とした。

 納竿PM1:30、車止め2:30、1時間の撤退だった。 

T川は中流から下流が荒れていた、源流部の僅かなポイントから魚が出たが、ほとんどアメゴのいない渓になってしまった。

釣果:2人で16匹 最大27cm(仙人さん) 24cm(R439) 

「仙人さん、リュウホウさんに携帯入れてみたら」、「どれどれ、あれ・・・エンガイですわ」、「う うううーん・・・もしかして圏外のこと(e?e)」。

 さあ帰りますかね、車中いろいろ霞話をしながら楽しいドライブだった。
 
「私、休暇少なくなったら忌引き休暇をもらおうと思うんですけど、あれって証拠書類(ショウコショルイ)要りませんよねー?、何人もってのはやばいですけどね」と言うと、「ショウコウシュね中国のあれキツイですねほんとハハハ」、「・・・(e?e)」。

やったーやっとつれましたー」
まるで子供のようですな(^^。

昨年は度重って台風が襲撃してきたが、比較的高知県の東部は雨量が少なかった、にもかかわらず荒れた川が目立っている、崩れやすい地質が潜在的な要因になっているとは思うが、台風さんもうちょっと遠慮がちに訪問してくれたらいいのになー、お願いしますよ、ホントm(__)m。

 

*     参考 昨年の大雨(ヤナセ24h雨量)

 2004/06/21 260mm
   2004/07/31    514mm
   2004/08/30    344mm
   2004/09/12    229mm
   2004/10/20    411mm

渓流釣り遡行記2005
渓流釣り遡行記2005一覧  面河川源流 御来光の滝です。厳しい遡行の末、神々しい風景が待っていました。滝壺には魚影はありませんでしたが満足感一杯の遡行でした。今年は、どんな感動が待っているのやら・・・・・

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました