四国の渓流釣り 源流釣り入門
ルート開拓 河原の源流 |
四国の渓流釣り |
関連遡行記 2004/5/8 標高差700mの渓 2009/4/26 (きつ谷) 坂のような渓 2009/5/3 GWの釣り 2010/5/3 (きつ谷) きつ谷 釣査 2011/4/30 河原の源流 2012/5/4 河原の源流 魚止め 2013/7/21 河原の源流 渇水 |
アザラシ君と河原の源流に行くことになった。地形図には等高線と水線があるだけで想像力を膨らませるしか手がない状態だった。この渓を遡行したことがある師匠に帰り道のルートを聞いたが、かなり前のことなのでハッキリとしたことは分からないと言う前置きがあって、標高1000m付近に支流があり薄らとした林道が現れる。この林道を少し進むと渓を跨いで対岸の林道と交差して帰ってきたような気がする・・・・。兎に角標高1000m付近にある支流を目標にすればなんとかなるだろうと思った。 |
忘年会でKEIZOUさんからきつ谷に誘われた。等高線が混み合って見上げるような渓・・・・「あんな渓は絶対に嫌だ」と断り続けたが他に誰も話に乗ってこない。一人で行けるような渓で無いのは分かっているから酔った勢いで「俺が一緒に行く」と不覚にも承諾してしまった。 想像していたとおり平坦な場所が殆どないない坂のような渓で魚止めには届かなかった。ムチャクチャ厳しい渓だから『きつ谷』と呼ぶことにした。 次の年「きつ谷の続きをやろう」と誘われた。最後に見たきれいなナメ滝の上がどうなっているのか気になっていたのでむしろ俺の方が積極的だったかも知れない。KEIZOUさんの提案で小谷から尾根越えルートを選択した。ただ、このルートは古い地図には載っているが新しい地図からは消えていたので、どうも怪しい・・・・不安は的中して林道は途中でなくなった。だったら戻っていつもの林道から去年帰ってきたルートを探したが見つからず、どんどん高度を上げて横林道にぶつかった。たぶん横林道の反対側は河原の源流につながっていると想像できたが確証はなかった。 |
横林道と縦林道の交差 |
2年後、Lさんと河原の源流に行くことになった。渓沿いにある林道から厳しい下流部分を飛ばして途中から入渓することに成功した。いつもより上流から入渓することができたので念願だった河原の源流に漸く立つことができたのは良かったが、魚止めはまだ先で辿り着くことができなかった。帰りのルートはタイムアウトが迫る中、赤テープの林道が渓を横切っていた。標高から察するにきつ谷遡行で見つけた横林道の続きに違いないと思った。確証はなかったが横林道を1時間弱歩くと見覚えがある林道の交差、予想通り縦林道に出逢い暗くなる前に車止めまで戻ってくることができた。 |
さらに次の年、源流テンカラ師が加わって河原の源流の魚止めを確認する計画が持ち上がった。 これまでの遡行で渓と林道の関係は、ほぼ繋がってきた。道に迷う心配はなくなったし、だいたいのコースタイムも計算できるようになった。後は体力と脚力が保つかどうかだ。車止めから一気に横林道まで標高差750mを登り河原の源流に出る。そこから魚止めを目指す。魚止めは、長らく想像していた場所より更に上流だった。魚止めの主がアマゴではなく岩魚だったのは少々落胆した。 アプローチ6時間、釣り4時間、撤退3時間、標高差950mの最源流は太古から続く原生林の流れに渓魚が遊ぶ素晴らしい場所でした。 何年も掛けルート開拓した魚止めは、釣果云々よりも成し遂げた達成感が大きかった。 |
河原の源流 魚止めの滝 |
ルート開拓 地形図4枚の渓 | |||||
源流釣りのルート開拓 実践編⑥ 単純に水線だけで判断して見落としていた渓 1/25000の地形図が4枚ないと遡行が難しい 地図を見るには、いろんな要素の分析と経験が必要です。 |
ルート開拓 取水の右支流 | |||||
源流釣りのルート開拓 実践編⑤ 左支流は魚影が薄い 右支流も序盤は魚影が薄いが交差する林道を越えると濃くなります。 なぜなのか?・・・・地図を読みながら考えてみました |
ルート開拓 カシミールで見つけた渓 | |||||
源流釣りのルート開拓 実践編④ カシミールで見つけた渓 本流の出合いから200mの連瀑が続く 地図にある林道の入り口が解らず苦労しました。 |
ルート開拓 淵連続の渓 | |||||
源流釣りのルート開拓 実践編② 淵連続の渓 渓沿いにある林道の存在は知っていた ただ、地図に記載されてないから途切れているのだろうと利用するのを避けていた。時間に余裕がある時ならチャレンジできたかも知れないが、そんな余裕がある釣りではなかった。 |
ルート開拓 原生林の渓 | |||||
源流釣りのルート開拓 実践編 原生林の渓 帰り道で迷い偶然発見した原生林の渓へ続くルート 大規模な植林伐採でバラに覆われ消えてしまった しかし、まだ新ルート開拓を諦めてはいなかった |