渓の回想録 91/03/17
   照明のない峠のトンネル 
吉野川支流(R439さん記)

四国の渓流釣り

 前日の囲炉裏宴会の疲れで出遅れてしまい車1台で県境を越えてS川支流へ入ったのが午前9:30だった。
 釣行計画は、二又から左支流を私が1人で釣り上がり、トンネル下の渕(下見済)で納竿してトンネル出口(愛媛県側)へ30mほど這い上がる予定だった。連れの二人(弟とE君)は別の支流へ入るので、夕方トンネル出口へ迎えに来てもらって移動し、反対側のトンネル出口(高知県側)の広場で野営をする予定だった。
 釣りはじめは、チビアメゴともつごがポツポツの状態だったが、途中の左支流出合を通過すると谷に傾斜が出てきて落込みの連続帯になり、入食い状態に突入した。
 6寸前後が続々と釣れるわ釣れるわ、餌がなくなるのが心配なのでミミズを半分に千切って釣るのだが釣果には全く影響がない、爆釣モードに入っていった。
 8寸が混ざってくると、滝の連続になり藪漕ぎと高巻きをくりかえした、鉈をもってきているのでバラや枝を払い除けて前進する、朽ちた木橋の辺りから滑床の滝と変わり所々の大渕で7寸以上をゲットこんな釣りは初めてだ。
 滑床滝を滑り落ちる水がほんの小さなエグレで渦巻いている、試しに餌を投入してみたらラインが止まって8寸ゲット、「なんじゃこりゃ!凄い!!」我を忘れるとはこのことを言うのだろう、上流に期待して危険な滑床滝を直登してしまった、岩に大きく足を掛けて反動を付けて上ろうとするが、次の手がかりに手が届かない、「あれーどいたんじゃろう?これぐらいの岩・・・」、かなり体力を消耗しているみたいだ、谷水を一口飲んで「うりゃーー」と気合を入れてなんとか登り詰めた。
 時計を見ると午後3:00、リュックからチキンラーメンを取り出して生でかじり谷水を飲む、焚き火を熾す時間がもったいない。
 トンネルまでどれぐらいの距離が残っているのかが気になる、昨日E君に1/2.5万地形図を渡したので今手元に無いが大体の地形は覚えている。送電線がほぼ真上に見える、送電線と谷は一箇所で交差していた、そこからトンネル下までは水平距離で500mと確認している。
 残り500mの釣り、時間にして1時間そこそこの釣りをして4:30頃にはトンネル出口下の渕に到着するだろう・・・この時はそう信じて疑わなかった・・・。
 甘露飴が甘い、二日酔いは何処かへ飛んでいった、ハイライトがメチャ美味い、魚篭の重たさを確認してニンマリ(^^、至福の15分間だった。
 一段上の渕に餌を入れるとまたまたヒットする、先人未踏か?、渕ごとに7寸前後が釣れる。
 暫く釣り上がり短い片峡を通過すると前方に2畳渕が見えた、手前に軽四ほどの岩が横たわっている、水深は1mも無いだろう。
 先ほどから水量が目に見えて減ってきたので、ラインの長さを1ヒロ半にしている、今までの調子で何気なく岩の向こうに餌を投入する、暗くてラインが見えにくいが、岩の中ほどまで流した時止まった。
 魚信は無い、根がかりかと少し底上げした、何かが掛かっている沈木か?、重たいが魚信は無い・・・と・突然!、キョーーレツな引き、ぐーんぐーんと引いていく、無我夢中とはこのことであろう、やり取りとか、竿の強度とか、ラインの号数とか、そんなもん関係なしで引き抜いてしまった。
 ままよ、軽四ほどの岩の上に上げたが後が続かない、岩の上で跳ねていると言うより、踊っている、落ちた!!、こちら側の砂利岸に!、飛びついて押さえ込む、デデデデカーーイ!!、両手で抑えるとぐぉぎぐぉぎと魚体をくねらす、その力の強いこと、水際での格闘はヤバイ、放しても安全な場所に移動して弱るのを待って手の平で簡尺してみたらなんと・・尺2寸弱のどでかアメゴ、それと魚体の派手さに驚らかされた、全体に赤く見える、良く見ると地肌の色が水色で朱点が変形して流れている、S川の主を釣ってしまったのか?。
 魚篭に入れてシゲシゲと眺める、大きく曲がっている、手を洗う、と、その時傍らを主が悠然と落ち込みに向かって泳いで行くではないか、しまった!!・・・一時へたりこんでしまった・・・「リリースしたものと思えば気も楽、もともとこうなる運命だったのだろう」、なんて慰めを言ってみる・・・転んで横になった蓋の無い魚篭にコボレた魚を入れなおした・・・グヤシイイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイッ
 時刻は4:00前、日が落ちてかなり暗くなってきた・・・まだまだアメゴは出る・・・まぁとにかく昨年下調べしておいたトンネル下の渕まで釣りあがろう、其処からは手探りでも県道までは上れるのだから心配無い、お迎えの車も来ているはずやし「もしかしてもう1匹出るかもしれんぞ」と、その時もまだ甘い考えをしていた、大アメゴを取り込んで逃がしてしまい、かなり冷静さを欠いていたのだろう、あまり細かい記憶が無い。
 そして8畳渕に到着、他にそれらしき渕が無かったので下見したトンネル下の渕に違いないが、「あれっ・・・こんな滝あったっけ??」5mほどの滝が少ない水をショボショボと落としている、一瞬寒気が走った、気温も下がっている、悴んだ指先で餌を刺した・・・1投目に痩せた8寸がヒット・・・続いて7寸が釣れた・・・もう魚篭一杯で入りきらない・・・もう辺りは暗く餌を見にくい・・・「もうやめようや」と独り言を言って竿をしまった。
 そして右斜面を登り始めたが、下見した時とイメージがあまりにも違い過ぎていた、たしか残土を盛った斜面はウツギ林だったハズなんだけど、登っているのは熊笹混じりの潅木帯であった、15分登っても県道に出ない「おかしい(疑)?」、残雪の雪明りで登ってきたのだが後30分で山は真っ暗になるだろう、「とにかく右上を目指さないといけない」・・・その頃はまだ高度計を使っていなかった。
 暫く熊笹を漕ぐと突然手入れされた山道に出た、「ふーーっ・・・なんとかなりそうや」しかし暗くて寒い、稜線に鉄塔が立っているのが見えた、どうやら現在位置はトンネルの上にいるようだ、その理由なんて分析している暇なんか無い。
 「さあーどうする」、県道までの下降時間は高知県側に降りるのが50分ぐらい、愛媛県側に降りるのが20分ぐらいだろう。
 愛媛県側の場合、約束どおり迎えの車は来ただろうが、もし高知県側で野営の準備をしていたらどうなる、800mの照明の無いトンネルを手探りで進むことになるかも、ヘッドランプは車にあるが持ってきてない、やっぱりトンネルを泣きながら歩くかトンネル入り口の石碑前で迎えが来るのをじっと待つか、恐怖で総白髪のおっさんになってしまうやんか・・・そんなんいやや。
 送電線の管理道は手入れが行き届いている、あの照明の無いトンネルに入るのはやめて、山越えするほうが恐ろしくないので頂上に向って歩いた、息せき切って5分で分水嶺へ着いた。
 鉄塔が黒く立っている、遥か南の山並みが橙色と群青色のコントラストで美しい、ここからは高知県、「生まれ育った山やきになんも恐くないで」、と我に言い聞かせ、雪明かりの下り坂を急いだ。
 トンネルの入り口右側に着いた時は、完全に帳が降りて手探り歩行状態だった。闇の中だが白いハイラックスを背景に人影がかすかに見える、弟とS君だ・・・助かったーー。
 私を確認して「いきちょったかや」と弟、「すまんのう、山越えになってしもうての、心配したやろう?」と聞いてみたら、「ろうせそんなことやろうとおもうたけん、こっち側で待ちよった、今から焚き火や」。
 8寸を頭にキープ25匹、失った鉈と猿田の主と間違ってトンネルの上まで釣り上がってしまったことは話さずにいた。
 トンネル入口の広場にある水場で道端宴会の準備を開始、3灯のヘッドランプが行き来する、ビールを飲みながら竃を仕立てる、ビールを飲みながら薪を集める、ビールを飲みながらアメゴを捌いて塩して串刺する、酒を飲みながらアメゴを炙る、酒の肴にアメゴ、これがまた格別に美味く五臓六部にしみわたる、自然の恵みに感謝。
 月も冴え冴えと天上に昇ってきた、満月を見上げ遠吠えする人間 (`O´)ゥォーー、バーボン火炎噴射人間、参加したくてイジイジしているトンネルの妖怪。
 魚肉ソーセージ+たまねぎラーメン作成、これが冷えた身体に頗る頼りになる、豪勢なようで貧しいような、標高1000mの照明の無い峠のトンネル宴会は怪しげにそして果てしなく続いたのだった。

 

 翌朝AM6:00に起床、缶詰を開けると焼き鳥もマトンも凍っていた、テントの中でコンロで温めて腹に収め、「本日の釣行はどうする?」。
 「それより兄貴、きのうのばんかた、あかりのないとんねる(照明の無いトンネル)をようあるいてぬけてきたねや、とちゅうのふといツララをどうやってかわしたぜ?」・・(無言)。
 
 教訓、地図と高度計を持ちましょう、無理な釣行計画は慎みましょう、万一のことを考えて照明を携行しましょう。


二度と行きたくない渓
97/03/01 安田川支流 長滝川
退渓の距離と時間を読み違えた。
陽が沈んでいく中、休憩も取らずに歩き続けるのは苦しい

最悪のエスケープルート
98/02/01 W渓
渓通しで帰るか、別ルートを取るか
このときの判断は間違っていなかったと思う

妖精の棲む渓
98/09/23 秘渓A沢
渓朱点が多い綺麗なアマゴが棲む渓だった
今思えば、卵放流のアマゴではないかと思うが果たしてどうなのか?

行く度に何かが起こる渓谷
2000年〜2007年 高知の谷(R439さん記)
源流部へは町の中心部から川沿いに1時間30分ほど車で遡って行かなくてはならない、最後に渓流が2つに分かれて斜度を増し、源流部は支流が多い渓谷へと変貌する・・・・

巨木の森にあった池
高知の谷(R439さん記)
この谷へは他の釣人も幾度か入渓して北の旧林道跡を使って撤退している、皆一様に「キツくて危険な撤退だった」と言うので、今回は南尾根を使って最初の滝群を高巻く事にした、南尾根の二又下から源流二又の・・・・